書籍の刊行と要望書の提出シクロスポリンの血中濃度の重要性

プロトピックの発癌性について(その1)


Topical Treatments with Pimecrolimus, Tacrolimus and Medium- to High-Potency Corticosteroids, and Risk of Lymphoma.

Dermatology 2009;219:721

S Schneeweiss et al.

 先日、プロトピックの発癌性について、ある先生と、メールで意見交換する機会がありました。

 そのかたが、非常に興味深い論文を見つけた、と教えてくださいました。ハーバード大学の疫学教室発のものです。

 研究デザインは、一定の患者群を追跡調査していくCohort studyで、健康保険請求のデータベースを使用しています。2002年から2006年にかけて、1)ピメクロリムス(プロトピックと同じカルシニューリン外用剤、日本未発売、海外ではElidel軟膏として発売されている)、2)タクロリムス(プロトピック軟膏)、3)中程度強さ以上のステロイド外用剤、それぞれを使用して保険請求した患者が、その後リンフォーマを発症したかどうかを追跡調査したものです。比較のために、3剤いずれも処方されていない者についても、さらに、皮膚炎のあるなしに分けて、4)「未治療の皮膚炎のある者(Untreated dermatitis patients)」5)「それ以外の一般患者(General population)」として、同じようにリンフォーマ発症の有無を追跡調査しています。従って、計5群のCohort studyです。 

 2)のタクロリムス(プロトピック軟膏)の追跡調査の結果を、5)一般患者(General population)と比較した結果を示します。 

 Risk+of+lymphoma09d

 表の読み方ですが、調査期間に、プロトピック軟膏の処方を受けた者は29870人でした。健康保険請求のデータベースですから、毎年のデータがあり、40548人というのは、Person-yearsとありますから、年度をまたいだ、延べ数ということでしょう。延べ40548人のうち、何らかのリンフォーマ(HL:ホジキンリンフォーマ、NHL:非ホジキンリンフォーマ、Cutaneous:皮膚原発リンフォーマ、CLL:慢性リンパ性白血病)を10人が発症していました。RR(相対危険度)=2.8295CI(信頼区間)1.087.39でした。

 RR(相対危険度)、95CI(信頼区間)というのは、統計用語ですが、「RRが大きいほどリスクが高い、95CI1を超えていれば、その判断に信頼性がある」と考えてください。

 そうすると、「プロトピック軟膏を外用した患者は、リンフォーマの発症のリスクが、外用していない一般患者よりも高い」という解釈が成り立ちます。わたしがメールで意見交換した先生は、「これは大変なデータだ(危惧していたプロトピック軟膏の発癌性が明らかになった)。」と言って、わたしに教えて下さいました。

 しかし、ちょっと待って下さい。なるほど、上記の表のデータだけなら、そう解釈することも可能でしょう。しかし、論文には、次のようなデータも掲載されています。

 プロトピック軟膏の追跡調査の結果を、4)の、「未治療の皮膚炎のある者(Untreated dermatitis patients)」と比較した結果です。

Risk+of+lymphoma09e 

 リンフォーマ発症の、RR(相対危険度)=1.9795CI(信頼区間)0.874.50でした。RR95CIとも低下しています。プロトピック軟膏の外用が真に発癌リスクならば、コントロールを、一般患者(General population)にとっても、未治療の皮膚炎のある者(Untreated dermatitis patients)にとっても、ほぼ同じような結果になるはずです。少しおかしいです。

 次に、3)のステロイド外用剤を使用した患者群の発癌リスクを見てみます。

Risk+of+lymphoma09b 

 プロトピックと同じように、リンフォーマ発症リスクは、一般患者(General population)に対しては有意に高く、未治療の皮膚炎のある者(Untreated dermatitis patients)に対しては、それよりもやや低く信頼性も低下しています。この時点で、かなり不思議です。なぜなら、ステロイド外用剤の使用が、発癌リスクを高めるということは、臨床経験的にも文献的にも否定的だからです。

 念のために、ピメクロリムスについても確認してみると、

 Risk+of+lymphoma09c

 やはり、まったく同じ傾向です。まとめておきますと、

http
です。

 なぜ、この3薬剤の使用が、このCohort研究の結果からは、発癌リスクを高めているかのように見えるのでしょうか?プロトピックとピメクロリムス(どちらもカルシニューリン阻害剤)でだけ、発癌リスクが高まり、ステロイドでは低いという結果が出たのであれば、たしかに、「危惧されていたカルシニューリン阻害剤の発癌性が証明された」といえます。著者であるハーバード大の疫学の先生も、当然そのような結果を想定していたことでしょう。著者は、このような結果が出たことに対して、次の4つの仮説が考えられると本文で述べています。

1)これら3薬剤を処方するという行為に共通する別の発癌リスクが実はあって見落としている(たとえば皮膚炎の重症度が発癌リスクだとすれば、3薬剤のRR値が、いずれも、一般患者(General population)に対してのRR値>未治療の皮膚炎のある者(Untreated dermatitis patients)に対してのRR値、である説明にもなる)。

2)アトピー性皮膚炎や乾癬などの皮膚疾患そのものが、実は発癌リスクである。

3)リンフォーマには、皮膚症状から始まるものがあり、はじめ「皮膚炎」と診断(誤診)されてこれら外用剤が処方されたが、後日リンフォーマであることが判明した例をこの調査では除外することができないため。

4)プロトピック、ピメクロリムス、ステロイド外用剤の3剤とも、実は発癌リスクがある。

 わたしにこの論文を教えてくれた先生は、4)の仮説を支持、というか心配しているようです。メールで「ステロイドも免疫を抑えるのだから、リンフォーマ発症のリスクだとしても、なんらおかしくない」と述べておられます。

 わたしが、この4仮説のどれを支持するかというと・・というか、わたしでなくとも、皮膚科臨床経験が一定年数あるかたなら、誰でも同じだと思うのですが、迷うことなく3)です。

 ここから先に記すことは、ある意味、ステロイド依存と同じく、皮膚科の恥部です・・いや、恥部というよりも、この場合は、皮膚科の限界、と言ったほうがいいかもしれません。

 リンフォーマや白血病の一部は、非特異疹(皮疹部を生検しても、腫瘍細胞が出てこない。通常の炎症性変化のみ)から始まる、あるいは伴います。そのことに気が付かずに、なんだか奇妙な湿疹だな?と思いながらも、ステロイド外用剤を処方し、腫瘍に伴うものですから当然反応は悪く、窮余のあまりカルシニューリン阻害剤を処方してみる、ということが、ときにあります。

 救急医療で、見落としやすく肝に銘じなければならない疾患を「地雷」と呼ぶそうですが、リンフォーマ・白血病の非特異疹は、まさに皮膚科における地雷的疾患のひとつです。 わたしは、このハーバード大の論文は、そのような皮膚科の誤診(あるいは限界)例が、「皮膚炎」の診断1万例あたりに、だいたい2~3例含まれているということなのだなあ、と感慨をもって読みます。それは、わたしの臨床経験を振り返っても、納得できる数値です。

 15年間基幹病院で皮膚科医を勤めて、冷や汗をかいた例が一度だけありました。全身の皮膚炎の患者なのですが、皮疹形態から、アトピーではもちろん無いし、ステロイド外用歴も無い。突然発症で家族歴も無い。皮膚生検くりかえしても、特異的所見は無い。筋炎症状の乏しい皮膚筋炎で奇妙な皮疹が出ることもあり、悪性腫瘍を伴うこともあるので、入院させ、全身検索しましたが、何も出ません・・外来でフォロー(経過観察)することにしましたが、通院は出来ないということだったので、他に紹介しました。1~2年後、照会先で、リンパ性白血病を発症していることが判明しました。びっくりして、入院当時のカルテをくまなく調べましたが、奇妙な皮疹がでて診断に苦慮していたころのデータからは、白血病を示唆する所見はまったく無かったです。防衛医療的な話で恐縮ですが、診断はつかないものの、全身くまなく検査入院させておいて本当によかったです。それをせずに外来で診ていただけであったら、私が診ていたときに既に白血病を発症していて、私が見落としていたのではないか?(白血病の皮疹をただの皮膚炎と誤診していたのではないか)と、今の時代なら訴えられていたかもしれません。

 この論文の著者であるハーバード大学の先生は、疫学の先生ですし、わたしに、この論文を「プロトピック軟膏の発癌性を示す有力なデータかもしれない」と教えてくれた先生は、内科の先生です。どちらも皮膚科の臨床経験は少ないと思います。ですから、こういう、皮膚科の現場感覚のようなものが薄いため、仮説1)~4)までを「可能性」として挙げたり、仮説4)に注目して「ステロイド外用剤にも発がん性があるのかもしれない」なんてことをおっしゃるのでしょうが、ぜったい違います。臨床感覚からは、3)以外ありえないです。まあ、ありえない、なんて書くと、「あいつは思い込みが強い」とか、「非科学的」とか言われかねないので、表立っては言いませんよ、もちろん。ブログとかで、こうやって、書き流す程度です。多くの皮膚科の先生も、あまり断定的には言わないでしょう。だって皮膚科の恥部・誤診・限界に関係する話ですから。よろしければ「リンフォーマ」「非特異疹」をキーワードとして、検索してみてください。わたしが経験したのと似たようなケースレポートがネット上でもすぐにいくつか確認できると思います。内科の先生は「Cutaneous(皮膚原発リンフォーマ)を除外して検定しなおしてみたらどうだろう?」とも提案されましたが、Cutaneousを除外しても、意味は変わりません。Cutaneous以外のリンフォーマでも、皮膚炎様の非特異疹は出現しうるからです。要するに、この種の健康保険請求のデータベースは、サンプルサイズが大きいので、カルシニューリン拮抗薬の発癌性を確認するのに向いている、とは、多くのひとが思いつくでしょうが、カルシニューリン拮抗薬の発癌率がよほど大きくない限りは、リンフォーマの非特異疹というバイアスに隠れてしまうので、実は研究デザインとして不向きだ、ということだと思います。

 それにしても、危険だと思ったのは、この論文、データを上手に切り取って解釈を付与すると、たしかに「プロトピック軟膏による発癌性が疫学的に証明された」と結論付けることが可能だという点です。ハーバード大の論文著者は、そうは述べていません。上記4つの仮説が考えられることを提示した上で、「ピメクロリムスとプロトピック軟膏とは、すくなくとも、発癌性が仮にあったとしても、両者に差はなさそうだ」という結論でまとめています。間違った用いられ方をされやすい論文(データ)だ、と思ったので、ブログで紹介しておくことにしました。 

 わたしは、プロトピックなど、カルシニューリン系外用剤の連用による、発がんの可能性を否定してはいません2006年にアメリカのFDAはこの種の薬剤に対し、発がん性のリスクの表示を義務付けました。動物実験および、数は少ないですが人でのケースレポートの報告があったからです。もしも、今後、白血病の奇妙な皮膚炎様の皮疹ではなく、典型的なアトピー性皮膚炎の患者において、プロトピックの外用による発癌のケースレポートが相次いだなら、わたしも、そのような警告の情報発信に回るでしょう。しかし、現在はそうではありません。

 ハーバード大学の論文は、プロトピックによる発癌の可能性を否定するものでも、もちろん、ありません。この論文を読むことによって、私の中でのプロトピックの発癌性の危惧は、増えも減りもしなかった、ということです。

 わたしは、皮膚科臨床医であったときのスタンスとして、自分の治療方針というものを持ちませんでした。アトピー性皮膚炎の患者に、ステロイドもプロトピックも勧めもしませんでしたが、ステロイドやプロトピックを使用しているが、仕事や学業など生活のため、あるいは怖くて止められない、という患者も、診てきました。現在プロトピックを使用して生活の質を維持している患者に、明確な根拠無く「発がん性があるから止めろ」とは情報発信したくないです。使わないに越したことないですよ、しょせん対症療法なのですから。しかし、発癌性のリスクを知って、それでも今を生きるためにプロトピックを選択した患者に対して、周囲、とくに医師は、最大の配慮(敬意と言ってもいい。考えに考えた挙句その道を選んだのでしょうから)をもって臨むべきだと思うのです。

 医者と患者って言ったって、人と人ですからね。情報提供は医者の重要な義務ですが、自己決定という患者の務めを果たしたひとには、その方向のいかんに関わらず、わたしは敬意を払います。私が患者だったら、「ステロイドで湿疹をしっかり抑えなさい!」と命じられるのはもちろん嫌ですが、「このままステロイドを塗り続けていると大変なことになるぞ」とか、「プロトピックなんか塗ると癌になるからやめなさい」とか、不確実なことを威圧的に脅しみたいに言われることもまた嫌です。失礼だと思います。



moto_tclinic at 10:22│Comments(0)TrackBack(0)