1991年の「アレルギー・体は警告する」1996年の「アトピー性皮膚炎と闘うー世界の治療最前線」

私自身の「治療方針」について

 先日紹介した中京テレビの番組の中で、わたしは下記のようにコメントしていました(→こちら

 「一番大切なのはインフォームドコンセントで、何よりも患者教育だと思うんですよ。今非常に情報が混乱してますけれども、その情報を十分に咀嚼して、えー、自分自身の、考えにおいて、いろいろ選択して対処していくだけの、患者側に、そういう教育を受ける機会がないというのが、非常に僕は問題だと思ってます。」

 私は昔から、治療方針について聞かれたとき、「自分自身の治療方針を持たない、それが私の治療方針だ」、と言ってきました。我ながら、解りにくい答え方だとは思いましたが。
 今、このブログを読んでいる方々の中にも、「脱ステロイド関連の文献ばかり集めて、脱ステロイドが治療方針なのかと思えば、『ステロイドを使う患者も診ていた』とも言う。いったいこの医師はどんな治療をやっていたんだ?」と訝しがるひともいるかもしれません。
 昔のテレビ番組の中に、私の「入院治療」の様子を取材したものがあったので、ご覧ください。

 

(画像または→ここをクリックすると動画がはじまります)
 
 国立名古屋病院には、現在7人のアトピー患者が入院しています。皮膚科の深谷医師は、従来のステロイドの使い方には問題があると考え、教育入院という制度を取り入れ、新しいアトピーの治療を試みているのです。
 治療に関するあらゆる情報提供を心がけ、その治療法を患者自身に選択させるようにしています。
 「アトピーの患者にとって、大切なのは、薬を使って皮膚を綺麗にすることじゃなくて、薬を・・あのー、使って抑えるのもいいんだけど、薬を使わないような状態に持っていくことも、すごく重大な問題なんですよ。だから、皮膚科のお医者さんが、皮膚だけしか見なかった、患者の心を見ていなかったっていうことが、これ、一番のステロイドの問題の原点だと思うんです。」
 入院患者たちは、病院が提供する本やビデオを通じて、アトピーに関する様々な情報を吸収します。医師と相談しながら、ステロイドを使うかどうかも含めて、自分自身で治療法を選択できる力を身につけていくのです。
 この男性は、ステロイドが効かなくなり、リバウンドを体験しました。今年の春から教育入院を受けています。
 「自分が知識をつけるまでの期間というのは、先生がコントロールしていた部分はありますけど、それからは、自分がああいう治療をしたいというと、積極的に協力してくれて、やっぱり自分が選択できるから、すごく納得できますね、それが効かなくてもやっぱり、納得もいくし・・うん。」

 私はは昔からよく患者たちに「アトピーに名医はいないが、名患者はいる」と言ってきました。
 私は謙遜ではなく、アトピーの治療に関して、自分を「名医」などと思ったことは一度もありません。今やっているプチ整形の細かな手術手技に関しては、正直言うと、まあ、十人医者がいたとしたら、一番か二番目くらいに器用なほうじゃないかな・・という、自惚れのような気持ちはあります。しかし、アトピー性皮膚炎の治療に関して、自分は独自の新しい治療法を開発したわけではないし、自分が「名医」だと考えるような理由がないのです。強いて言えば、人間観察的な患者の心理のツボみたいなものを把握する力や、皮疹を時間経過という流れの中で解釈する力はあるとは思いますが、しかし、それによって患者が早く良く治る、というわけではないです。
 しかし、「名患者」というのは、確実にいます。薬や医者を上手に活用して知識を得て、アトピーというハンディを負いながらも、自分自身で人生を作り上げ、自力で治っていくタイプです。そういう名患者を数多く育てることが、皮膚科医を選び、アトピーという疾患に関わった自分の仕事だと考えていました。これについて、補足です。

 このところブログで紹介している90年代のテレビ番組は、このころ「教育入院」のために、収集していたものです。今のようにインターネットで検索すれば瞬時に様々な情報が入手できる時代ではありませんでした。いわゆるアトピービジネス本も、さまざまな患者団体の刊行物も、全て患者教育のための貴重な資料でした。情報をあふれるほどに与え、その中から本当に自分に必要なものを取捨選択できる力を養うのです。
 ナレーションには「病院が提供する本やビデオを通じて」とありますが、本は私がポケットマネーで買ったものだし、ビデオも毎日私が新聞のテレビ番組欄をみてせっせと録画したものでした。(※著作権については、NHKなどに手紙を書いて、病棟での利用について書面による了解を得ていました。現在のようにデジタルコンテンツもなく、NHKの担当者からは快諾の返事が来たことを覚えています。心配するひとがいるといけないので、念のため付記しておきます。)

   ムービ~1

 私物でしたので、退職前にほとんど処分してしまいましたが、一部が残っています。これらを、こういった形(ブログで紹介し解説するという形)で、再び活用できるとは思いませんでした・・。
 私は、診療現場を離れてもう10年ほどになりますが、精神衛生上の理由から、まだリアルな患者に接することが出来ません。
 診療の途中で、ふと悲しくなって、本当に涙が出てくるのです。にっこり笑って「大丈夫」と言わなければならない立場の医師が、実際それまでずっとずっと、どんなに辛く酷い状況の患者を前にしても、笑顔で冷静でいられたのですが、ある日、ふと涙が出て、診療が出来なくなってしまいました。
 きっと自分の中で、何かを抑え続けていたのでしょう。それで、もうこれ以上は無理と悟って、退職して今の仕事に転じました。
 十年を経て、こうやって少しずつ情報を発信し始めています。私の中では、この作業は、あの頃の「教育入院」と同じです。
 これを読んで下さっている患者の皆さん、リアルに接することは出来なくても、私の提供した情報を自分自身の「治療方針」構築に役立てていらっしゃるのであれば、あなたは私の患者のようなものです。どうか「名患者」になって、私を喜ばせてください。

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追記: なんだか湿っぽい話を書いてしまいました。今の仕事(美容外科)は、病気のひとを扱わないこともあって、この数年でずいぶん回復しました。
 回復し始めた頃に書いた詩があります。お口直し(?)にどうぞ。

ひまわりの花になりたいと思う。
風のそよぐ 青い空の下にあって、
一面のお花畑
朝日が昇ればみな一斉に顔を向けて光を浴びる
そのなかに混ざったひとつの小さなひまわりで
ありたいと思う。

あさがおの花になりたいと思う。
朝露をうけて、花弁をほころばせ
誰の目にも触れず しかしかしこまって
大きく丸く誇らしげに
日の光に向けて ほんの束の間の花を咲かせる
あさがおをお手本に生きたいと思う。



moto_tclinic at 23:27│Comments(0)TrackBack(0)