「塗っても効かない」-ステロイド抵抗性(3)「本当は怖い『脱ステロイド』:アトピー性皮膚炎の治療」というサイトについて(1)

昔の学会報告の思い出

 ネオーラルのところで、当時の私の学会報告の内容をひとつ記しました(→こちら)。 
 このころ、わたしは、なんとかこのステロイド外用剤依存の問題について、皮膚科医の理解・関心を得ようと、あちこちの皮膚科関連学会で、口演発表を繰り返していました。
 その原稿のほとんどは処分してしまって、あるいは、患者の写真は勤務先の国立病院に置いてきたり、退職時に「いつか役にたつかもしれないから」と患者に渡してしまったので、手元にありませんが、一部が残っています。今日、ここに紹介するものは、たぶん2000年ころのものだと思うのですが、いつどこの学会のものなのか不明で、記憶にも残っていません・・。とにかく、このような症例報告を繰り返して、私なり一生懸命訴えていたわけです。
 当時は、まだデジタルカメラが普及する前で、ポジフィルムで患者の写真をとっては、経時的な流れを診察のたびに追っていましたから、患者の写真は膨大に貯まりました。・・一度数えてみたことがありますが、その時点で2万枚を超えていたことは覚えています。私の退職時には、その倍以上にはなっていたと思います。 
 当時の国立病院だからできたことです。写真のフィルム代だけで赤字のはずだからです。患者の皮疹の写真撮影は保険点数取れませんからね。
 フィルム代は、消耗品代として事務に請求できたのですが、写真の保管にこまりました。国立病院の独立行政法人化の流れで、カルテ室のひとが派遣となり、「写真はカルテではないので保管できない」と言ってきたのです。外来の一角にコーナーを作りまして、患者の診察のたびに自分で写真を出し入れしていました。
 退職の頃には、すっかり欝状態でしたが、その一つの原因が、このどんどん増え続ける写真をどうしていこう?そもそも、事務がフィルム代・現像代をカットしてしまったら、どうやってその後、患者を追っていけるだろう?私の頭の記憶容量は、これだけの患者の画像を記憶できるだけの能力がない・・、ということでした。いま、デジタルカメラの時代で、本当に便利で、当時の私の悩みは笑い話に聞こえるかもしれませんが、真剣に悩んでいました。
 (以下、文章は当時の原稿そのままです) 
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  症例は、27才男性、乳幼児期に湿疹はありましたが小学校以来軽快していました。成人後再発してきたため、23才から、皮膚科にてステロイド外用治療が開始されています。
 以後平成6年までの処方記録は、カルテが古く解りませんでした。
 平成7年、通院5年目以降の処方は、前医の協力により入手することができました。
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 平成7年から平成10年までは、単純計算で年間千から千五百gのステロイド外用剤が処方されています。これらの半分ほどは、非ステロイド外用剤などで薄められておりましたので実際の軟膏総量としては、年間2千から3千g程になります。
 平成11年に入って、患者は自発的にステロイドを中止しました。カルテによれば、前医は患者を説得してランクを落としたステロイドの処方を続けたようですが、患者は従わず、4ヵ月後の平成11年7月、当院へ紹介来院されました。
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 これが7月当院初診時の臨床像です。これを見て、皆さん、どう思われますでしょうか?
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 私は昨年、このようなステロイド中止後の皮疹経過は、だいたい5型に分けられることを、報告いたしました。
 先ほどの患者の臨床像は、潮紅型の強いもので、離脱後の皮疹としては、比較的軽いものです。特徴としては、紅皮症ではありますが、皮疹要素としては潮紅が主体で、軽い浮腫は伴いますが、丘疹や痒疹・局面形成などは伴いません。離脱後の皮疹を見慣れた者からみると、この患者はステロイドを再使用しなくても、数週から数ヶ月かけて、自然軽快していくであろうことが、あの時点で予測できます。
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 これは8月、初診から1カ月目です。繰り返しますが、このタイプの特徴は、全身におよぶ紅皮症ではあっても、潮紅が主体で、皮疹要素としては単純なことです。
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 10月、初診から3ヶ月目です。
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 翌年1月、初診から6ヶ月目です。処方は白色ワセリンと亜鉛華単軟膏、および、ブドウ球菌対策としてのイソジン消毒液のみです。
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3月、初診から8ヶ月たちました。
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5月、初診から10ヶ月です。
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 7月、初診から1年です。
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10月、初診から1年3ヶ月です。これが、本来の彼の皮膚であった、ということです。
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 近年、マスコミ報道が、ステロイドの害を大きく報じたためにステロイドを拒否する患者が増えたのだという拙が、一部でとなえられていますが、本当にそうでしょうか? 
 これは、一昨年、1318名のアトピー性皮膚炎患者にアンケートを行った結果ですが(注:詳細は→こちら参照)、ステロイドを使用していない患者と使用中の患者との差は、マスコミなどの情報によるのではなく、塗ってもきかなくなり中止によりリバウンドを起こした、といった自分自身の経験によることが明らかです。
 このような実態を直視し、また、依存症をきたした患者の離脱後の皮疹に皮膚科医が精通することによってはじめて、今回の症例のような患者は、いわゆるアトピービジネスから守られるのだと私は考えます。以上です。

 この患者の場合は、前医からの紹介でした。こういう「紹介」はときどきありましたが、多くは書きなぐったような手紙で「お前が脱ステロイドだの依存だのとあちこちで言うから、このようなステロイド外用を嫌がる患者が出てきて実に迷惑している。お前の責任だ。患者を送るから、ステロイドを使わず治せるというなら治してみろ。」といった内容を、慇懃丁寧に記したものか、あるいは、患者に紹介状も持たせず「ステロイドが嫌だというなら、うちでは診ることはできません。国立名古屋の深谷先生が治せると言っているからそっちに行きなさい!、と言われて来ました」というパターンが多かったですが。
 この患者の場合は、前医の処方内容まで細かに調べてありますので、比較的温厚な前医だったのかなあ?と思いますが・・記憶に無いのでどこからの紹介だったのか不明です。
 処方の問い合わせをしても、大抵は、「皮膚科医が脱ステロイドとは怪しからん」と電話越しに説教されるか、「先生の治療方針は納得できないので協力しかねる」という反応が多かったです。
 私の学会報告は、上記、あるいはネオーラルのところで記したような、一例報告、あるいは数例報告を、患者の経過写真を中心に呈示するということが多かったです。症例数や写真の数は、前述のように山ほどありましたが、これらを集計して、例えば、半年とか一年で平均どのくらいの患者が良くなる、といった数字を出す作業には関心がありませんでした。意味が無いと考えていたからです。母集団が、わたしの外来を受診した患者、という偏った集団である以上、それらの平均値とか、改善率とかを、数字にすることに、どんな意義があるのか解りませんでした。二年三年経っても真っ赤な紅皮症のままで、いったいいつ良くなるのか見当がつかない患者もいたし、数日のリバウンドで済む患者もいましたが、それらを集計して、例えば平均値という数字にして情報として発信する、という行為は、どうにも「嘘」が拭いきれないような気がして、私は嫌でした。患者に「自分の場合はどのくらいで離脱できるのでしょうか?」と問われたときに、平均何ヶ月でこのくらい良くなる、と答えるのは、私の感覚では、どうにも嘘っぽいです。「わからない」という答えが、一番正しい、嘘が無い、と私という人間は考えるのです。
 私の立場から、確かなものとして発信できる情報は、個々の症例報告だけです。それは絶対的に確かなものです。
 上記の患者と同じような症例の経過写真を、たとえば百例持ってきてみろ、と言われれば、当時の私なら、ポジフィルムのスライドボックスからこれとこれとこれ、という風に集めれば、一晩で用意できたでしょう。だから、一例報告ではあっても、特別な著効例や、珍しい改善例を呈示していたわけではありません。
 わたしが「次はこの症例を学会報告しよう」と選ぶ基準は、「前医」でした。なぜなら、私に患者を送りつけてきた前医が、会場に居れば、その皮膚科医には、少なくとも訴えることが出来るかもしれない、意識を変えられるかもしれない、と考えたからです。
 言い換えると、私の学会報告は、その患者を紹介してきた前医ただ一人に対して、語りかけるものであった、とも言えます。
 「私の外来を受診した患者数はこれだけで、うちステロイド依存状態と考えられた数はこれだけ、半年後、一年後、二年後の改善率はこれだけ・・」といった、どんな意味があるのか無いのかわからない数字の報告よりは、まだ関心を持ってもらえるのではないか、と考えました。少なくとも、私が逆に口演を聞く側であれば、そうであっただろうからです。
 世の中の「アトピー性皮膚炎」患者の何%くらいがステロイド依存であるのか、それは、私の外来診療という「窓」からはわかりません。わたしがはっきりと自信を持って言えることは、ステロイド依存の患者というのは、私の窓から見えるだけでも、すなわち私が上記の症例のように写真記録して良くなってしまうまでの過程を「証拠」として残しただけでも、数百人、数千人といった単位で、確かに存在する、ということです。
 
 わたしの外来は、とにかく服を脱いでもらって写真を撮る、という作業に尽きました。あとは、前回の診察からの患者の日記を見せてもらい、何か、悪化要因なり、原因につながりそうなヒントがないかを一緒に考える、という作業でした。通常、医師は、将来に向けて、明日からはこうしなさい、ああしなさい、というものだと思いますが、わたしの場合は過去を振り返って、ここがこうだった、ああだったね、という点検・復習の作業が中心でした。補給として抗ヒスタミン剤やワセリンや消毒薬の類は処方しましたが、これはほんとに、戦地から一時帰還した兵士に補給する、という感じで、だから、基本的に患者の申告そのままに処方しましたし、何も要らない、という患者(これが一番多かった)には、もちろん何も処方しませんでした。
 それが治療か?と言われれば、私も、おかしいと思います。これは、治療ではありません。私は、何ら医療行為という介入をしていない。自分で治ろうとする患者たちを見守り、明らかにおかしかったり、道に迷っているときだけ、何がしかの手助けをするという作業です。精神的サポートとしての存在意義がいちばん大きかったように思います。患者の役に立っていた自信は大いにありますが、あれは治療ではありませんでした。
 私は、「脱ステロイドは治療ではなく副作用報告である」と繰り返し記していますが、その根底には、私の中で「治療」をしたという実感がない、ということがあります。患者が治っていく過程において、私は、医療行為といえるほどの介入を何ら行っていません。患者は私の前にやってきては、離脱し、リバウンドを越えて、良くなって消えていきました。
 時折り、今でも、街で、昔の私の患者であったのだろう、普通の肌のひとから「先生、お久しぶりです」と声をかけられます。その眼差しは何というか、学校の恩師にでも出会ったときのようです。たぶん、患者たちにとって、私という存在は、医師というよりは、昔いろいろなことを教えてもらった学校の先生、ということなのかなあ?と感じます。 

 今日は、古い学会発表の原稿とスライドを見ながら、昔の思い出話でした。こういうことが記せるというのは、わたしの心も、少しずつですが、きっと回復してきているということなのでしょう。



moto_tclinic at 14:16│Comments(0)TrackBack(0)